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東京地方裁判所 昭和49年(ワ)4954号 判決 1976年10月19日

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者双方の申立

(原告)

一  被告両名は、各自原告に対して金一九五六万四、五六七円及びこれに対する被告池袋交通株式会社については昭和四九年六月二七日以降、被告星野勝利については昭和四九年七月四日以降各支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

(被告)

主文同旨の判決

第二当事者の主張

(原告)

「請求原因」

一  事故の発生

昭和四五年三月一六日、午前零時頃、東京都目黒区上目黒一丁目六番一七号先路上の横断歩道において、大鳥交差点方面から国鉄目黒駅方向へ南進中の被告星野が運転する普通乗用車(練馬五け二一三〇号、以下被告車という)が、折柄右横断歩道を東から西に横断歩行中の原告に衝突し、原告を四メートルはね飛ばして路上に転倒させた。その結果原告は右肩鎖関節脱臼、左右膝関節捻挫、右下腿挫傷、頭部外傷、頸椎捻挫等の傷害を受けた。

二  被告両名の責任

本件事故は、被告星野が進路前方に横断歩道があるのに前方注視を怠つて、漫然と運転進行したため横断中の原告に気ずかなかつたため生じたものであり、よつて同被告は、不法行為者として原告の損害を賠償すべき責任がある。

次に被告池袋交通株式会社(以下被告会社という)は、被告車の所有者で、これを運行の用に供していたので、やはり損害を賠償すべき責任がある。

三  和解の成立

本件事故についての損害につき、昭和四七年一一月二八日東京地方裁判所へ賠償請求の訴の提起がなされ、同裁判所民事第二七部昭和四七年(ワ)第一、〇一四五号事件として係属し、口頭弁論期日二回、和解期日六回を経て、昭和四八年八月二四日被告会社が原告に四七八万八、六〇〇円の損害金を支払うことで和解が成立した。

なおその際原告には脳波にびまん性非特異性異常の後遺症(保険会社査定一二級)が認められ、頭痛、頸部痛を訴えていたが、向う一年間の治療費を見込んで右和解が成立したという事情がある。

四  後遺症の再発

その後原告は、主治医塚越正夫のもとで右後遺症の治療を続けていたところ、昭和四八年一〇月二〇日項から両眼の視力が衰えはじめ、同月二六日項には左眼視力は光覚を弁ずるのみに低下して失明し、右眼視力は〇・〇四となつた。

原告の右障害(左眼失明、右眼視力が〇・七から〇・〇四に低下したこと)は、本件事故と因果関係があり、よつて本件事故による損害である。

五  損害

和解成立(昭和四八年八月二四日)以後に生じた新たな損害は次のとおりである。

(一) 治療費 一〇〇万一、三六七円

1 塚越外科病院分 五、二〇〇円

昭和四八年八月二五日から訴提起時までの通院治療費(通院実日数五日)

2 日本医科大学附属病院分 九八万円

昭和四八年一〇月三〇日から同年一二月二二日までの入院治療費、昭和四九年一月一一日から同月二二日までの通院治療費、同月二四日から二月二三日までの入院治療費等

3 目黒眼科クリニツク分 五、〇〇〇円

昭和四八年一〇月二六日から昭和四九年一月五日まで、昭和四九年一月七日から同月一〇日まで、の通院治療費

4 慶応病院分 一万一、一六七円

昭和四九年二月二三日から訴提起時までの通院治療費(通院実日数八日)

(二) 逸失利益 一、三八四万三、二〇〇円

原告が本件事故当時、バーにホステス兼主人代理として勤務し、平均月収一〇万円を得ていたことは先の訴訟(昭和四七年(ワ)第一、〇一四五号)で既に認められた事実である。原告は前記障害(自動車損害賠償保障法施行令第二条で規定する第三級第一号に該当する)により全く労働能力を喪つた。

そこで右平均月収を前提とし、原告の年齢(四七歳)に鑑み就労可能年数を一六年とみてホフマン係数によつて現価の逸失利益を算定すると右金額になる。

(三) 慰藉料 四七二万円

入通院の慰藉料八〇万円、失明という新たな障害による肉体的精神的苦痛に対する慰藉料三九二万円

六  結論

よつて、原告は、被告両名に対して右損害合計一九五六万四、五六七円及びこれに対する訴状送達の日の翌日以降支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

「因果関係に関する主張」

一  外傷特に間接的な力が眼球に加つたとき網膜が剥離して失明の原因となるところ、原告は本件事故により四メートルも跳ね飛ばされ全身特に頭部を強打したのである。頭部の強打により身体の他の部分に障害が生じることは当然予測される。

原告の視力が衰え始めたのは事故後約三ケ年を経過してからであるが、原告には本件事故を除き失明の原因となるようなことはなく、右のごとき事実を考えれば原告の失明と本件事故とは因果関係があり、そして事故の態様に鑑み被告らは原告のかかる事態を当然予想すべきであるから、その責任を被告らに課しても少しも酷ではない。

二  仮に現在の医学水準では事故と失明との因果関係が不明だとしても、法的な因果関係は医学上のものとは別個であるから、本件で因果関係が不明あるいはないとはいえないことは当然である。

さらに裁判の公平からいつて本件の場合その全部について因果関係を認めることはできないにしても、その一部につき認めるべきであり、本件はかかる解法方法になじむ事例といえよう。

(被告)

「請求原因に対する答弁」

一  請求原因一項中、原告を四メートル跳ね飛ばしたとの点は不知、その余の事実は認める。

二  同二項は認める。

三  同三項中、和解の成立については認めるが、その成立の事情は不知。

四  同四項記載事実は不知。仮に原告の右眼視力低下、左眼失明が事実だとしても、本件交通事故との因果関係は否認する。

すなわち右眼の視力低下は高度近視によるもので本件事故との因果関係はまつたくなく、また左眼の失明は、網膜硝子体出血、網膜剥離によるものであるところ、これらの症状の原因は不明で、本件事故との因果関係は否定もしくは不明とされており、結局本件事故との因果関係は証明されていない。

なお原告は、「割合的認定」を主張するようであるが、「割合的認定」は被害者の素質、体質によつて事故による損害額が発生、拡大したことが明白な場合の公平の見地からの損害額の分担の問題であつて、因果関係が問題となつている本件とは別個の問題である。また原告は医学的因果関係と法的な因果関係とは別個で、本件では法的には因果関係があると主張するようであるが、法的な因果関係とは因果関係の判断が法的な見地からなされるというだけのことであつて、医学的な因果関係と格別異なるものではない。

五  同五項中、(一)、(二)は不知、(三)は争う。

第三証拠関係〔略〕

理由

一  事故の程度はともかく、本件事故の発生、被告両名の責任、原告の損害につき原告と被告らとの間で一旦和解が成立したこと、の各事実は当事者間に争いがない。

そして原告は、右和解後に生じた右眼の視力低下、左眼失明につき、本件事故が原因であるとして本訴で損害の賠償を求めているところ、これら症状と本件事故との因果関係につき争いがあるので、まずこの点につき検討すべきことになる。

二  そこで原告の受傷の程度、治療の経過についてみるに、成立につき争いのない甲第二ないし第四号証、第一一号証の一ないし二四、同第二六号証、及び証人兼鑑定人塚越正夫の証言並びに鑑定結果、原告本人尋問の結果を総合すると

(一)  本件事故は、原告において横断中、右側から来た被告車に衝突されて四メートル位飛ばされて倒れ、右肩、両足、頭部を路面に打ちつけたものであるが、原告は助け起された時はさしたる痛みを覚えず、外見上も瘤や内出血は認められなかつたので、そのまま歩いて自宅に戻つた。

ところがその後になつて肩や足が痛み腫れてきたので事故の翌々日たる昭和四五年三月一八日の夕方になつて近くの塚越正夫医師の診察を受けたところ、右鎖関節脱臼、右膝関節捻挫、右下腿挫傷、頭部外傷、頸部捻挫との診断であつたが、この時塚越医師は、原告の頭部、顔面に外見上異常を認めていない。

その後原告は同医師の許に通院し、ギブス、けい引、投薬の治療を受けたのであるが、同年一一月二六日に脳波の検査をしたところ、軽度のびまん性非特異性異常が認められた。そこで翌昭和四六年三月に慶応義塾大学病院で脳波関係について精密な診断を受けたところ、境界線上であるとのことであつた。

(二)  原告がその後本件事故による損害の賠償を求め訴を提起し、原告と被告ら間に昭和四八年八月二四日に和解が成立したことは当事者間に争いがない。

ところで、右和解は、原告の後遺症として右脳波異常並びに自覚症状として「頭痛、項部痛」があつて騒音によつて頭痛著明となること、昭和四八年八月一〇日以降今後一年間の投薬による治療を必要とすること、を前提として成立している。

そしてこの時原告の眼の症状について特に問題とならなかつたようで、右原告の後遺症を記載した塚越正夫医師作成の後遺症診断書(甲第三号証)にもその点何の記載もない。

以上の事実が認められる。

右認定事実から、窺われることは、本件事故による本件の受傷は挫傷、捻挫が主で、頭部特に眼付近を強打したようなことはないこと、脳波異常は認められたがそれは軽度なものであつたこと、である。

三  次に原告の目の工合が悪くなつた経過についてみるに、成立につき争いのない甲第五、第六号証、同第一二号証の一ないし一〇、同第一三号証、乙第五号証、及び証人兼鑑定人犬養恭四郎、同塚越正夫、同秋山健一の各証言並びに鑑定結果、鑑定人三島済一の鑑定結果、原告本人尋問の結果を総合すると、

(一)  前記和解成立後二ケ月を経過した昭和四八年一〇月二六日に、原告は突然左目が見えなくなつたので近くの眼科医犬養恭四郎の診察を受けたところ、見えなくなつた原因は、左眼球硝子体内に眼底を透視できないほど血液が充満している網膜硝子体出血にあることが判明した。

なおこの時右目の検査をしたところ、裸眼で〇・〇四という強度の近視であつた。

(二)  犬養医師の紹介で、原告は同月三〇日に日本医科大学付属病院に入院して治療を受けたところ、左目は一旦眼前の指の数を弁ずる程度まで回復したのであるが、同年一一月初めに悪化して従前の状態に戻つてしまつた。そして同年同月一一日に左目の硝子体置換の手術をしたところ、再度眼前の指の数を弁ずる程度まで回復し、同年一二月二二日に退院した。

その後翌昭和四九年一月二四日に再度同病院に入院し、同月二九日に再度左目の硝子体置換の手術を受けたのであるが、同年二月一九日に左眼内血が再発した。

(三)  原告はかねてから同病院の治療に不満を抱いていたところ、右のごとき状態になつたので、同月二三日に自分から希望して同病院を退院し、そして前記塚越医師と相談のうえ、同月二六日から慶応義塾大学病院に通院するようになつた。

同病院の診断では、原告の右目は裸眼で〇・〇三、矯正によつて〇・八になるという強度の近眼で、左目は硝子体混濁と網膜剥離で眼前の手動が判る程度の視力しかなく、矯正不能であつた。そしてしばらく硝子体混濁に対する投薬を続けた後、同年三月一八日に、同病院の網膜系統の専門医である秋山健一医師に網膜剥離の治療の可能性について診察を受けた。

同医師の診断では原告の左目の失明の原因は、現在では硝子体内出血ではなく、網膜剥離にあるところ、網膜は眼球内全体にわたつて剥がれていて、しかもしわひだが固定していて、手術で伸ばすことは非常にむつかしく、よつて左目の視力の回復は不可能であつた。そこで同医師もやはり硝子体混濁に対する投薬を続け、且つ視力のある右目に対する眼鏡の処方をしてやる一方、主に視力のある右目について診察を続けた。

その後、原告の、光る点が見えるとか、飛蚊が見えるとかの訴えのたびに、同医師は原告の右目の精密検査をおこなつたのであるが、昭和四九年一〇月一日に、眼底が豹紋状を呈していることを、同年一二月一〇日に右目挙上縁付近網膜上に変性突起二ケ所を、昭和五〇年六月三日に硝子体点状混濁をそれぞれ見出したが、網膜剥離は認められなかつた。のみならず、右の網膜上の変性は、網膜剥離に連がる格子状変性ではなく、また硝子体混濁も年齢による生理的なものでやはり網膜剥離に連がるものではなかつた。

結局右目についてこれといつた不安はなく、本訴係属後の昭和五〇年九月二日現在において、視力はほぼ従前どおりで、眼圧も正常、他方左目はやはり失明状態で眼圧に異常はないが、白内障を併発していて回復の見込みはないと同医師は診断している。

(四)  鑑定人三島済一が昭和五一年二月末に原告の目を診察して得た結果も、秋山医師の右診断とほぼ同一である。すなわち右目は裸眼で〇・〇六、矯正によつて〇・八という強度の近視で、豹紋状眼底であるが他に異常はなく、左目は光覚を弁ずる程度の視力しかなくその原因は網膜の高度機能障害、白内障にある、とのことである。

以上の事実が認められる。

右認定事実からまず明らかなことは、右目の視力障害は、高度近視に起因するもので、本件交通事故と因果関係はない、ということである。

なお証人兼鑑定人塚越正夫は、この間に因果関係があると考えると供述し、且つその旨の診断書(甲第七号証)を作成しているが、その根拠は、頭部外傷を負い、脳波異常があれば種々の障害が生じることが考えられる、というのであつて、到底採用することのできない立論である。ちなみに同医師は、外科が専門で眼科については専門外である。

四  次に左目の失明についてであるが、右認定のとおり原告の左目が昭和四八年一〇月末に突然失明したのは、網膜硝子体出血によるものであるが、その後の治療によつて硝子体出血は失明の原因でなくなつたものの、網膜剥離、及び白内障によつてやはり回復不能な失明状態にあるのであるが、本訴で提出されたすべての証拠によつてもこれら症状と本件交通事故との間に因果関係を認めるに足りない。

すなわち鑑定人三島済一は、原告の網膜剥離、及び白内障と本件交通事故との間の因果関係は不明である旨鑑定している。そして証人兼鑑定人犬養恭四郎、同秋山健一の証言並びに鑑定結果によれば、硝子体出血は少なからぬものが原因不明であるが、糖尿病、高血圧などの内科的原因、あるいは眼球打撲によつて生じることまた網膜剥離は先天的な変性に起因することが多く、他に高度の近視、頭部、眼球の強打が原因となること、の各事実が認められる。

しかるところ、右各証拠並びに原告本人尋問の結果によれば原告には硝子体出血の原因となるような内科的疾患、あるいは右目についてであるが、網膜剥離に連がる先天的変性は認められないのであるが、他方前認定のとおり本件事故の際頭部あるいは眼球付近を強打をしていない。なお右秋山健一の証言並びに鑑定の結果によれば、原告の右目が高度近視なので、左目もそうであつたのではないかと一般的には推測されるものの、現在となつてはその点を解明することはできないのみならず、原告自身は眼鏡をかけてはいたが、左目の近視の度合はたいしたことはなかつた旨供述している(もつとも眼鏡の度数は不明である)ので、高度近視を原因とする網膜剥離ではないか、との疑念は残るものの、その点については不明と解するより他はない。

以上の次第でこれら症状の原因は不明とするより他はない。

もつとも成立につき争いのない甲第一四号証、右秋山健一の証言並びに鑑定結果によれば、単なる頭部打撲、全身強打が、この種の事故に弱くなつている網膜を剥離させる引き金になることがあること、この場合事故から数年を経て網膜剥離が生じたりすること、がそれぞれ認められ、原告の網膜剥離が、本件事故による打撲とこのような形で結びついている可能性は考えられなくもない。

しかし右証拠によれば、頭部あるいは全身の打撲のみならず、素早い動作、重い物を持ち上げる作業、あるいは目をこすること、などもやはり網膜剥離の引き金になる可能性があるというのであるから、事故後三年半を経過してから生じた原告の網膜剥離につき、右可能性をもつて本件事故によつて通常生ずべき結果であるとの法的判断を下すのは困難というほかない。

なお証人兼鑑定人塚越正夫は、前同様の根拠をもつて原告の左目の失明と本件事故との間に因果関係がある旨供述し、その旨の診断書(甲第七号証)を作成しているが、やはり採用することはできない。

五  以上の次第で原告の目の障害と本件事故との間に法的な因果関係を認めることはできず、よつてこれが存在を前提とする原告の本訴請求はその余の判断をするまでもなく理由がない。また本件では原告主張のごとく一部について因果関係の存在を認めるのが相当とは考えられない。

よつて原告の本訴請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する次第である。

(裁判官 岡部崇明)

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